自由民主党執行部一覧

時期 総裁代行委員 幹事長 総務会長 政務調査会長 備考
1955年11月15日 鳩山一郎
(旧民主党)
緒方竹虎
(旧自由党)
岸信介
(旧民主党)
石井光次郎
(旧自由党)
水田三喜男
(旧自由党)
自由党と日本民主党が合同(保守合同)し、自由民主党を結党。総裁は置かず、旧自由党と旧民主党2名ずつを総裁代行委員に選出した。党三役は岸幹事長が旧民主党系、石井総務会長と水田政調会長は旧自由党系。
三木武吉
(旧民主党)
大野伴睦
(旧自由党)
1956年02月10日 鳩山一郎
(旧民主党)
松野鶴平
(旧自由党)
岸信介
(旧民主党)
石井光次郎
(旧自由党)
水田三喜男
(旧自由党)
1月28日に総裁代行委員の緒方竹虎(旧自由党総裁)が死去。後任には旧自由党系の松野鶴平が就任。
三木武吉
(旧民主党)
大野伴睦
(旧自由党)
時期 総裁 副総裁 幹事長 総務会長 政務調査会長 備考
第3次鳩山一郎内閣
(1956年4月)
鳩山一郎
(鳩山)
−−−− 岸信介
(岸)
石井光次郎
(石井)
水田三喜男
(大野)
第2回自由民主党大会で鳩山一郎(首相・総裁代行委員)を総裁に選出。幹事長・総務会長・政調会長は留任。
石橋湛山内閣
(1956年12月)
石橋湛山
(石橋)
−−−− 三木武夫
(三木・松村)
砂田重政
(河野)
塚田十一郎
(石井)
鳩山総裁の後継総裁公選に岸信介(幹事長)、石橋湛山(通産相)、石井光次郎(総務会長)が立候補。第1回投票で岸・石橋・石井の順。決選投票で石橋・石井支持者の2位3位連合により石橋・岸の順となり、石橋を総裁に選出。
第1次岸内閣
(1957年3月)
岸信介
(岸)
−−−− 三木武夫
(三木・松村)
砂田重政
(河野)
塚田十一郎
(石井)
石橋湛山総裁が病気の為、辞任。後継総裁に岸信介(外相/臨時首相代理)が就任。党三役は留任。
第1次岸改造内閣
(1957年7月)
岸信介
(岸)
大野伴睦
(大野)
川島正次郎
(岸)
砂田重政
(河野)
三木武夫
(三木・松村)
石橋湛山体制を継承してきた岸信介が内閣改造及び党3役人事を行う。副総裁に大野、幹事長に岸直系の川島を起用。結果として石橋政権の主流派(石橋・石井・池田・三木)と反主流派(岸・佐藤・大野・河野)が逆転。
政調会長補任
(1957年12月)
岸信介
(岸)
大野伴睦
(大野)
川島正次郎
(岸)
佐藤榮作
(佐藤)
三木武夫
(三木・松村)
砂田重政総務会長が死去。後任に佐藤が就任。
第2次岸内閣
(1958年6月)
岸信介
(岸)
大野伴睦
(大野)
川島正次郎
(岸)
河野一郎
(河野)
福田赳夫
(岸)
保守合同後、初の総選挙で自民党は微減。岸総裁が首相に再選され、第2次内閣組閣及び党3役人事を行う。党三役においては幹事長・政調会長を岸派が抑え、内閣においても藤山愛一郎外相が留任、岸直系の赤城宗徳を官房長官、岸の実弟・佐藤榮作を蔵相に起用し、岸体制を固めた。
3閣僚辞任後
(1959年1月)
岸信介
(岸)
大野伴睦
(大野)
福田赳夫
(岸)
益谷秀次
(池田)
中村梅吉
(河野)
警察官職務執行法改正問題で池田勇人国務相・三木武夫経企庁長官・灘尾弘吉文相が辞任。この事態を主流派で独占していた党三役の一部を反主流派に譲り渡すことで収集しようとしたが大野副総裁や河野総務会長らが反発。この反発をいわゆる政権交代の密約で抑え、党三役人事を行い池田派の益谷を総務会長に迎えた。
総裁公選
(1959年1月)
岸信介
(岸)
大野伴睦
(大野)
福田赳夫
(岸)
益谷秀次
(池田)
中村梅吉
(河野)
総裁公選で岸総裁が松村謙三(元文相)を抑えて、再選。
第2次岸改造内閣
(1959年6月)
岸信介
(岸)
大野伴睦
(大野)
川島正次郎
(岸)
石井光次郎
(石井)
船田中
(大野)
参院選後の内閣改造・党役員人事で反主流派の池田勇人が通産相として入閣し、主流派に。反対に幹事長を要求した河野一郎は無役、岸総裁に対し、いわゆる『安保花道論』を唱え、反主流派に。
第1次池田内閣
(1960年7月)
池田勇人
(池田)
−−−− 益谷秀次
(池田)
保利茂
(佐藤)
椎名悦三郎
(岸)
新日米安保条約の衆議院可決後の自動承認後、岸首相が辞意を表明。後継総裁公選に池田勇人(通産相)・石井光次郎(総務会長)・藤山愛一郎(外相)らが立候補。第1回投票で池田・石井・藤山の順。決選投票で池田・石井の順となり、池田を総裁に選出。池田総裁下での三役人事は池田派・佐藤派・岸派)が分けあい、官僚3派体制を印象づけた。
第2次池田内閣
(1960年12月)
池田勇人
(池田)
−−−− 益谷秀次
(池田)
保利茂
(佐藤)
福田赳夫
(福田)
衆院選後の党役員人事。政調会長に福田赳夫(岸系福田派)起用したのみで、幹事長・総務会長は留任。
第2次池田改造内閣
(1961年7月)
池田勇人
(池田)
大野伴睦
(大野)
前尾繁三郎
(池田)
赤城宗徳
(川島)
田中角榮
(佐藤)
内閣改造・党役員人事。大野が副総裁に復帰。幹事長の前尾(池田派)は池田総裁の側近、総務会長の赤城(岸系/川島派)と政調会長の田中(佐藤派)はそれぞれ各派で池田に近い人物であった。
第2次池田再改造内閣
(1962年7月)
池田勇人
(池田)
大野伴睦
(大野)
前尾繁三郎
(池田)
赤城宗徳
(川島)
賀屋興宣
(無派閥)
総裁公選で池田総裁が再選。それに伴う内閣改造・党役員人事。政調会長に賀屋(無派閥)を起用。前政調会長の田中角榮は蔵相として入閣。
第2次池田再々改造内閣
(1963年7月)
池田勇人
(池田)
大野伴睦
(大野)
前尾繁三郎
(池田)
藤山愛一郎
(藤山)
三木武夫
(三木・松村)
内閣改造・党役員人事。副総裁・幹事長は留任。
大野副総裁死去
(1964年5月)
池田勇人
(池田)
−−−− 前尾繁三郎
(池田)
藤山愛一郎
(藤山)
三木武夫
(三木・松村)
大野副総裁が死去、後任はおかず空席。
第3次池田改造内閣
(1964年7月)
池田勇人
(池田)
川島正次郎
(川島)
三木武夫
(三木・松村)
中村梅吉
(河野)
周東英雄
(佐藤)
池田総裁の任期満了に伴う総裁公選に池田・佐藤榮作(北開庁長官)・藤山愛一郎(元外相)らが立候補。第1回投票で池田・佐藤・藤山の順。第1回投票で池田が過半数を上回った為、総裁3選。その後の党役員人事では池田再選を支持した川島派、三木・松村派、河野派が党3役に迎えられた。
第1次佐藤内閣
(1964年12月)
佐藤榮作
(佐藤)
川島正次郎
(川島)
三木武夫
(三木)
中村梅吉
(河野)
周東英雄
(佐藤)
池田総裁が病気の為、辞任。後継総裁は話し合い後、総裁指名によって決定することに決まる。当時の有力候補は佐藤榮作(元蔵相)・河野一郎(国務相)・藤山愛一郎(元外相)ら。川島副総裁・三木幹事長が党内調整を行った結果、池田総裁に佐藤を推し、池田総裁が佐藤を指名。佐藤総裁誕生後は官房長官を鈴木善幸(池田派)から橋本登美三郎(佐藤派)に交代した以外は池田体制を継承。
第1次佐藤改造内閣
(1965年6月)
佐藤榮作
(佐藤)
川島正次郎
(川島)
田中角榮
(佐藤)
前尾繁三郎
(池田)
赤城宗徳
(川島)
池田勇人体制を継承してきた佐藤が内閣改造及び党役員人事を行う。川島副総裁は留任。党三役は佐藤・池田・川島(岸系)の3派体制。
第1次佐藤再改造内閣
(1966年8月)
佐藤榮作
(佐藤)
川島正次郎
(川島)
田中角榮
(佐藤)
福永健司
(前尾)
水田三喜男
(船田)
内閣改造・党役員人事。副総裁・幹事長は留任。総務会長は福永(前尾派/池田勇人の死後、池田派は前尾派になった)、政調会長は水田(船田派/大野伴睦の死後、大野派は船田派と村上派に分裂)に交代。
第1次佐藤再々改造内閣
(1966年12月)
佐藤榮作
(佐藤)
−−−− 福田赳夫
(福田)
椎名悦三郎
(川島)
西村直己
(佐藤)
佐藤総裁の任期満了に伴う総裁公選に佐藤・藤山愛一郎(元外相)が立候補。投票の結果、佐藤が過半数を獲得し総裁再選。その後の内閣改造・党役員人事では総裁選挙で藤山を支持した藤山派・松村派・中曽根派からは閣僚を起用せず。
第2次佐藤改造内閣
(1967年11月)
佐藤榮作
(佐藤)
川島正次郎
(川島)
福田赳夫
(福田)
橋本登美三郎
(佐藤)
大平正芳
(前尾)
内閣改造・党役員人事。副総裁に川島が復帰、福田幹事長は留任。内閣には中曽根康弘(運輸相)、保利茂(建設相)が入閣。
第2次佐藤再改造内閣
(1968年12月)
佐藤榮作
(佐藤)
川島正次郎
(川島)
田中角榮
(佐藤)
鈴木善幸
(前尾)
根本龍太郎
(園田)
佐藤総裁の任期満了に伴う総裁公選に佐藤・前尾繁三郎(元通産相)・三木武夫(元幹事長)が立候補。投票の結果、佐藤・三木・前尾の順となり、過半数を獲得した佐藤が総裁3選。その後の内閣改造・党役員人事では副総裁留任、幹事長に田中が復帰、総務会長には総裁選で対立候補だった前尾派の鈴木を起用。前幹事長の福田赳夫は蔵相として入閣。
第3次佐藤内閣
(1970年1月)
佐藤榮作
(佐藤)
川島正次郎
(川島)
田中角榮
(佐藤)
鈴木善幸
(前尾)
水田三喜男
(村上)
衆議院選挙後の組閣・党役員人事。田中幹事長留任。
佐藤榮作総裁4選
(1970年10月)
佐藤榮作
(佐藤)
川島正次郎
(川島)
田中角榮
(佐藤)
鈴木善幸
(前尾)
水田三喜男
(村上)
佐藤総裁の任期満了に伴う総裁公選に佐藤・三木武夫(元幹事長)が立候補。投票の結果、佐藤・三木の順となり、過半数を獲得した佐藤榮作が総裁4選。内閣改造・党役員人事は見送り。
川島副総裁死去
(1970年11月)
佐藤榮作
(佐藤)
−−−− 田中角榮
(佐藤)
鈴木善幸
(前尾)
水田三喜男
(村上)
川島副総裁が死去、後任はおかず空席。
第3次佐藤改造内閣
(1971年7月)
佐藤榮作
(佐藤)
−−−− 保利茂
(佐藤)
中曽根康弘
(中曽根)
小坂善太郎
(大平)
参院選後の内閣改造・党役員人事。中曽根(中曽根派)は初の三役入り。前尾派は大平派に代替わりし、小坂がとして三役入り。前幹事長の田中角榮が通産相として入閣。
第1次田中内閣
(1972年7月)
田中角榮
(田中)
−−−− 橋本登美三郎
(田中)
鈴木善幸
(大平)
桜内義雄
(中曽根)
佐藤榮作総裁の後継総裁公選に、福田赳夫(外相)・田中角榮(蔵相)・三木武夫(元幹事長)・大平正芳(元外相)が立候補。第1回投票で田中・福田・大平・三木の順。決選投票で田中・福田の順となり、田中を総裁に選出。内閣では外相に大平、通産相に中曽根、無任所国務相(72年8月に副総理)に三木が入閣。5大派閥のうち4派の領袖が入閣。
椎名副総裁就任
(1972年8月)
田中角榮
(田中)
椎名悦三郎
(椎名)
橋本登美三郎
(田中)
鈴木善幸
(大平)
桜内義雄
(中曽根)
副総裁に椎名(川島派→椎名派)が就任。
第2次田中内閣
(1972年12月)
田中角榮
(田中)
椎名悦三郎
(椎名)
橋本登美三郎
(田中)
鈴木善幸
(大平)
倉石忠雄
(福田)
衆院選後の組閣・党役員人事。政調会長を中曽根派から福田派の倉石忠雄に代えた他、留任。内閣は三木武夫副総理・大平正芳外相・中曽根康弘通産相は留任、行管庁長官として福田赳夫が入閣。5大派閥の領袖が全て入閣。
第2次田中改造内閣
(1973年11月)
田中角榮
(田中)
椎名悦三郎
(椎名)
橋本登美三郎
(田中)
鈴木善幸
(大平)
水田三喜男
(水田)
内閣改造・党役員人事。閣内で愛知揆一蔵相の急逝に伴い、福田赳夫行管庁長官が蔵相へ閣内移動。
第2次田中再改造内閣
(1974年11月)
田中角榮
(田中)
椎名悦三郎
(椎名)
二階堂進
(田中)
鈴木善幸
(大平)
山中貞則
(中曽根)
内閣改造・党役員人事。74年12月の米国大統領初来日(フォード大統領)後、総辞職。
三木内閣
(1974年12月)
三木武夫
(三木)
椎名悦三郎
(椎名)
中曽根康弘
(中曽根)
灘尾弘吉
(無派閥)
松野頼三
(福田)
田中角榮総裁の後継総裁選出は椎名副総裁の裁定らよって決定することとなる。有力候補は福田赳夫(元蔵相)・大平正芳(蔵相)・三木武夫(元副総理)ら。椎名副総裁はいわゆる『椎名裁定』で三木を指名。三木が両院議員総会での承認を受けて総裁就任。
三木改造内閣
(1976年9月)
三木武夫
(三木)
椎名悦三郎
(椎名)
内田常雄
(大平)
松野頼三
(福田→無)
櫻内義雄
(中曽根)
内閣改造・党役員人事。中曽根幹事長を更迭。閣僚及び党三役は反主流派の党挙党体制確立協議会に属さない人物が起用された。
福田内閣
(1976年12月)
福田赳夫
(福田)
−−−− 大平正芳
(大平)
江崎真澄
(田中)
河本敏夫
(三木)
衆院選敗北(自民党初の過半数割れ)の責任をとって三木武夫総裁が辞任。後継総裁は話し合いによって福田赳夫(元蔵相)が推され、党大会に代わる両院議員総会で承認を受けて就任。幹事長には大平正芳を起用。総理総裁一致の原則は維持されていたものの、党務は主に大平幹事長に委ねられ、実質的に総総分離に近い形となった。
福田改造内閣
(1977年11月)
福田赳夫
(福田)
船田中
(船田)
大平正芳
(大平)
中曽根康弘
(中曽根)
江崎真澄
(田中)
内閣改造・党役員人事。副総裁に船田中、総務会長に中曽根を起用。
第1次大平内閣
(1978年12月)
大平正芳
(大平)
−−−− 齋藤邦吉
(大平)
倉石忠雄
(福田)
河本敏夫
(三木)
福田赳夫総裁の任期満了に伴う自民党総裁公選に福田・大平正芳(幹事長)・中曽根康弘(総務会長)・河本敏夫(元通産相)らが立候補。初の総裁予備選。予備選の結果、大平・福田・中曽根・河本の順。上位2名による決選投票になるはずであったが福田が本選挙を辞退。
西村副総裁就任
(1979年1月)
大平正芳
(大平)
西村栄一
(田中)
齋藤邦吉
(大平)
倉石忠雄
(福田)
河本敏夫
(三木)
副総裁に西村(田中派)が就任。副総裁は従来、中間派閥から選ばれていたが、大派閥からの起用された。
第2次大平内閣
(1979年11月)
大平正芳
(大平)
西村栄一
(田中)
桜内義雄
(中曽根)
鈴木善幸
(大平)
安倍晋太郎
(福田)
衆院選の結果、改選議席を1議席下回る。反主流派は大平総裁の退陣を求めたが、主流派がこれを拒否。いわゆる『40日抗争』へ。衆議院の首班指名選挙で大平総裁・福田赳夫前総裁で争うという異常事態となった。
鈴木内閣
(1980年7月)
鈴木善幸
(鈴木)
西村栄一
(田中)
桜内義雄
(中曽根)
二階堂進
(田中)
安倍晋太郎
(福田)
大平正芳総裁は80年6月、衆参同日選挙期間中に死亡。臨時首相代理は伊藤正芳官房長官。選挙後、話し合いによって大平派の鈴木善幸が推され、両院議員総会での承認を受けて就任。西村栄一副総裁は選挙に落選。桜内幹事長・安倍政調会長は留任。総務会長にはロッキード事件のいわゆる『灰色高官』であった二階堂進。
鈴木改造内閣
(1981年11月)
鈴木善幸
(鈴木)
−−−− 二階堂進
(田中)
田中龍夫
(福田)
田中六助
(鈴木)
内閣改造・党役員人事。副総裁空席。幹事長に二階堂が異動。総務会長・政調会長にそれぞれ福田派・鈴木派が就任。5大派閥の大きい方から3派が三役を担うこととなった。
第1次中曽根内閣
(1982年11月)
中曽根康弘
(中曽根)
−−−− 二階堂進
(田中)
細田吉蔵
(福田)
田中六助
(鈴木)
鈴木善幸総裁の任期満了に伴う自民党総裁公選に中曽根康弘(行管庁長官)・河本敏夫(経企庁長官)・安倍晋太郎(通産相)・中川一郎(科技庁長官)らが立候補。4名以上の立候補があった為に総裁予備選に突入。予備選の結果、中曽根・河本・安倍・中川の順。河本以下3候補の本選挙辞退により、臨時党大会で中曽根総裁を満場一致で承認。閣内では官房長官に後藤田正晴(田中派)、総裁派閥以外から官房長官が起用されたのは第2次佐藤内閣以来。
第2次中曽根内閣
(1983年12月)
中曽根康弘
(中曽根)
−−−− 田中六助
(鈴木)
金丸信
(田中)
藤尾正行
(福田)
ロッキード事件第1審判決後の衆院選で自民党は3度目の過半数割れ。党内では批判が相次ぎ『いわゆる田中氏の政治的影響を排除する』と総裁声明を出した。内閣は新自由クラブとの連立政権としてを発足。幹事長を田中派から鈴木派に。
二階堂副総裁就任
(1984年4月)
中曽根康弘
(中曽根)
二階堂進
(田中)
田中六助
(鈴木)
金丸信
(田中)
藤尾正行
(福田)
副総裁に二階堂(田中派)が就任。田中角榮元総裁の側近の副総裁起用は『いわゆる田中氏の政治的影響を排除する』という方針に反すると強い反発を招いた。
第2次中曽根改造内閣
(1984年11月)
中曽根康弘
(中曽根)
二階堂進
(田中)
金丸信
(田中)
宮澤 喜一
(鈴木)
藤尾正行
(福田)
中曽根総裁の任期満了に伴う総裁公選に中曽根が立候補。対抗立候補が無く、両院議員総会で総裁再選が決定。幹事長に金丸(田中派)が幹事長、宮澤(鈴木派会長代行)が初の党三役入り。
第3次中曽根内閣
(1986年7月)
中曽根康弘
(中曽根)
−−−− 竹下登
(田中)
安倍晋太郎
(安倍)
伊藤正義
(鈴木)
86年衆参同日選挙、自民党大勝。選挙後の組閣・党役員人事で竹下(田中派)、安倍(福田派→安倍派)が初の党三役。
竹下内閣
(1987年11月)
竹下登
(竹下)
−−−− 安倍晋太郎
(安倍)
伊藤正義
(宮澤)
渡辺美智雄
(中曽根)
中曽根康弘総裁の任期満了に伴う後継総裁選び。有力候補は竹下登(幹事長/田中派→竹下派)・安倍晋太郎(総務会長)・宮澤喜一(蔵相/鈴木派→宮澤派)。中曽根総裁は有力候補から後任総裁指名の一任を取り付け、竹下を指名。臨時党大会での決定を得て竹下が総裁に就任し、安倍幹事長、宮澤副総理という強力な挙党一致内閣が成立。
宇野内閣
(1989年6月)
宇野宗佑
(中曽根)
−−−− 橋本龍太郎
(竹下)
水野清
(宮澤)
村田敬次郎
(安倍)
リクルート問題に関連して竹下総裁が辞意を表明。後継総裁には宇野宗佑(外相/中曽根派)が両院議員総会で異例の『起立多数』で選出される。派閥の領袖でない総裁は初めて。
第1次海部内閣
(1989年8月)
海部俊樹
(河本)
−−−− 小沢一郎
(竹下)
唐沢俊二郎
(中曽根)
三塚博
(安倍)
参院選惨敗(リクルート問題・消費税・農業自由化・首相醜聞などが不振の原因といわれる)、参議院過半数割れの責任をとって宇野宗佑総裁が辞意を表明。後継総裁公選に海部俊樹(元文相/河本派)・林義郎(元厚相/二階堂系)・石原慎太郎(元運輸相/安倍派)が立候補。第1回投票で海部・林・石原の順。海部が過半数を獲得した為、海部を総裁に選出。
第2次海部内閣
(1990年2月)
海部俊樹
(河本)
−−−− 小沢一郎
(竹下)
西岡武夫
(宮澤)
加藤六月
(安倍)
衆院選は前回(86年衆参同日選)より20議席以上少ないが、前々回(83年ロッキード事件判決後の選挙)よりは20議席以上多い。前回の参議院選挙の惨敗を考えれぱ、安定多数を守ったことは自民党の勝利ともいえた。選挙後の党役員人事で小沢幹事長は留任、総務会長が中曽根派(90年2月、中曽根派→渡辺派)から宮澤派に交代。
東京都知事選挙
(1991年4月)
海部俊樹
(河本)
−−−− 小渕恵三
(竹下)
西岡武夫
(宮澤)
加藤六月
(安倍)
東京都知事選挙で現職の鈴木俊一を公認せず、磯村尚徳を公認。自民党東京都連が磯村公認に反発し、事実上の分裂選挙。都知事選は鈴木が当選。小沢一郎幹事長が辞任。後任には同じ竹下派の小渕が就任。
宮澤内閣
(1991年10月)
宮澤喜一
(宮澤)
−−−− 綿貫民輔
(竹下)
佐藤孝行
(渡辺)
森喜朗
(三塚)
海部俊樹総裁の任期満了に伴う自民党総裁公選に宮澤喜一(元副総理/宮澤派)・渡辺美智雄(元蔵相/渡辺派)・三塚博(元外相/安倍派→三塚派)が立候補。投票の結果、宮澤・渡辺・三塚の順となり、宮澤を総裁に選出。総務会長にはロッキード事件で有罪判決を受けた佐藤(渡辺派)を起用。
金丸副総裁就任
(1992年1月)
宮澤喜一
(宮澤)
金丸信
(竹下)
綿貫民輔
(竹下)
佐藤孝行
(渡辺)
森喜朗
(三塚)
8日、副総裁に金丸(竹下派)が就任。17日、国会対策委員長が増岡博之(宮澤派)から梶山静六(竹下派)に交代するなど竹下派への依存が強まる。
金丸副総裁辞任
(1992年8月)
宮澤喜一
(宮澤)
−−−− 綿貫民輔
(竹下)
佐藤孝行
(渡辺)
森喜朗
(三塚)
金丸信副総裁が佐川急便から5億円を受け取っていたことが報じられる。金丸副総裁は事実関係を認めて副総裁を辞任。9月、政治資金規制法違反で略式起訴、罰金20万円。10月、議員辞職。
宮澤改造内閣
(1992年12月)
宮澤喜一
(宮澤)
−−−− 梶山静六
(小渕)
佐藤孝行
(渡辺)
三塚博
(三塚)
内閣改造・党役員人事。幹事長は小渕派(竹下派が小渕派(小渕恵三)と羽田派(羽田孜)に分裂)から梶山、政調会長に三塚、総務会長は留任。
非自民連立政権
(1993年7月)
河野洋平
(宮澤)
−−−− 森喜朗
(三塚)
木部佳昭
(渡辺)
橋本龍太郎
(小渕)
野党が提出した内閣不信任決議案が羽田派などの賛成によって可決。宮澤喜一首相は衆議院を解散。羽田派らは離党。衆院選の結果、自民党は議席を1議席増やすも離党者の数の方が多く、過半数を大きく割り込む。宮澤総裁は辞意を表明。後継総裁公選に渡辺美智雄(元副総理)・河野洋平(前官房長官)が立候補。投票の結果、河野・渡辺の順となり、河野を総裁に選出。
河野総裁再選
(1993年9月)
河野洋平
(宮澤)
−−−− 森喜朗
(三塚)
木部佳昭
(渡辺)
橋本龍太郎
(小渕)
宮澤喜一前総裁の残任期間が終了。河野総裁が無投票再選。
村山連立内閣
(1994年7月)
河野洋平
(宮澤)
小渕恵三
(小渕)
森喜朗
(三塚)
木部佳昭
(渡辺)
加藤紘一
(宮澤)
自民党が内閣不信任決議案を提出。羽田内閣は社会党との連立復帰交渉が不調、不信任決議案可決が必至の状況となったために総辞職。その後の首班指名では自民・社会・さきがけが推す村山富市社会党委員長が指名を受け、首相に。副総理兼外相に河野総裁、蔵相に武村正義(さきがけ代表)が入閣し、自社さ連立政権の成立。
村山改造内閣
(1995年8月)
河野洋平
(宮澤)
小渕恵三
(小渕)
三塚博
(三塚)
木部佳昭
(渡辺)
加藤紘一
(宮澤)
参院選の結果、比例区で新進党が第1党となり自民党が初めて2位となった。その後の内閣改造・党役員人事。森幹事長が建設相として入閣。後任の幹事長には三塚派会長・三塚博を起用。
橋本総裁誕生
(1995年10月)
橋本龍太郎
(小渕)
−−−− 加藤紘一
(宮澤)
塩川正十郎
(三塚)
山崎拓
(旧渡辺)
河野洋平総裁の任期満了に伴う総裁公選に橋本龍太郎(元蔵相/小渕派)・小泉純一郎(元厚相/三塚派)が立候補。投票の結果、橋本・小泉の順となり、橋本を総裁に選出。10月1日に橋本総裁の任期が始まる。2日(月曜日)に村山内閣副総理が河野外相から橋本通産相に交代。
第2次橋本内閣
(1996年11月)
橋本龍太郎
(小渕)
−−−− 加藤紘一
(宮澤)
森喜朗
(三塚)
山崎拓
(旧渡辺)
小選挙区比例代表並立制で初めての衆院選で自民党が議席を伸ばした。選挙後の内閣改造・党役員人事。塩川正十郎総務会長(衆院選で落選)の後任に森(三塚派)が就任。
小渕内閣
(1998年7月)
小渕恵三
(小渕)
−−−− 森喜朗
(三塚)
深谷隆司
(旧渡辺)
池田行彦
(宮澤)
参院選惨敗の責任をとって橋本龍太郎総裁が辞意を表明。後継総裁公選に小渕恵三(元外相/小渕派)・梶山静六(官房長官/無派閥)・小泉純一郎(厚相/三塚派)らが立候補。投票の結果、小渕・梶山・小泉の順となり、小渕を総裁に選出。内閣には宮澤喜一元首相が蔵相として入閣。
自自公連立政権
(1999年10月)
小渕恵三
(小渕)
−−−− 森喜朗
(森)
池田行彦
(加藤)
亀井静香
(江藤・亀井)
小渕総裁の任期満了に伴う総裁公選に小渕・加藤紘一(元官房長官/宮澤派→加藤派)・山崎拓(元建設相/旧渡辺派→山崎派)らが立候補。投票の結果、小渕・加藤・山崎の順となり、小渕が総裁に再選。総裁選後、自民党・自由党・公明党による連立政権樹立のため、内閣改造。
自公保連立政権
(2000年4月)
森喜朗
(森)
−−−− 野中広務
(旧小渕)
池田行彦
(加藤)
亀井静香
(江藤・亀井)
小渕総裁の急病を受けて、両議院議員総会は森喜朗幹事長の総裁就任を承認。幹事長の後任には野中幹事長代理が昇格。この直前、自由党が連立離脱を表明。自由党から分かれた保守党と共に連立政権として森内閣が発足。
2000年6月総選挙後
(2000年7月)
森喜朗
(森)
−−−− 野中広務
(旧小渕)
小里貞則
(加藤)
亀井静香
(江藤・亀井)
総選挙後の組閣・党役員人事で野中幹事長・亀井政調会長は留任、池田行彦総務会長は辞意を表明し、代わって加藤派の小里貞則が政調会長に就任、加藤派の希望を受け入れた形となった。
省庁再編前の内閣改造
(2000年12月)
森喜朗
(森)
−−−− 古賀誠
(加藤)
村岡兼造
(橋本)
亀井静香
(江藤・亀井)
11月の「加藤政局」(加藤派と山崎派が森内閣不信任案に同調する動きを見せ、森首相の退陣を求めた)収拾後、野中広務幹事長が辞意を表明。幹事長には古賀国会対策委員長、総務会長には村岡官房長官(旧小渕派→橋本派)が就任。
小泉純一郎内閣
(2001年4月)
小泉純一郎
(無/森)
−−−− 山崎拓
(無/山崎)
堀内光雄
(無/堀内)
麻生太郎
(無/河野)
2001年4月、森総裁の辞意表明に伴って行われた総裁選挙に橋本龍太郎(元首相/橋本派)、小泉純一郎(元厚相/森派→無派閥)、亀井静香(元建設相/江藤・亀井派)、麻生太郎(経財相/河野G)らが立候補。予備選で小泉が圧倒的勝利を収め、国会議員を含めた本選挙でも小泉が圧勝して総裁に選出された。党三役は就任と同時に派閥を離脱。
小泉総裁再選
(2001年8月)
小泉純一郎
(無/森)
−−−− 山崎拓
(無/山崎)
堀内光雄
(無/堀内)
麻生太郎
(無/河野)
小渕恵三元総裁・森喜朗前総裁の残任期間が終了。小泉総裁が無投票再選。
2003年総裁選後
(2003年9月)
小泉純一郎
(無/森)
山崎拓
(無/山崎)
安倍晋三
(無/森)
堀内光雄
(無/堀内)
額賀福志郎
(無/橋本)
9月、小泉総裁の任期満了に伴う総裁選挙に小泉(無/森派)、藤井孝男(元運輸相/橋本派)、亀井静香(元建設省/江藤・亀井派)、高村正彦(元外相/高村派)らが立候補。第1回投票で小泉が過半数を得て総裁に選出された。党三役人事では再任反対の強かった山崎幹事長を副総裁とし、安倍官房副長官を幹事長に起用。
2003年11月
総選挙後
(2003年11月)
小泉純一郎
(無/森)
−−−− 安倍晋三
(無/森)
堀内光雄
(無/堀内)
額賀福志郎
(無/橋本)
11月、第43回衆議院議員総選挙で山崎拓副総裁が落選。山崎拓副総裁は選挙後、副総裁辞任を表明。後任の副総裁は空席。
2004年7月
参院選後
(2004年9月)
小泉純一郎
(無/森)
−−−− 武部勤
(無/山崎)
久間章生
(無/旧橋本)
与謝野馨
(無)
9月、第20回参議院議員通常選挙の結果を受けての党役員人事。党三役はいずれも郵政事業民営化に賛成のいわゆる「郵政民営化実現シフト」。
2005年9月
総選挙後
(2005年11月)
小泉純一郎
(無/森)
−−−− 武部勤
(無/山崎)
久間章生
(無/旧橋本)
中川秀直
(無/森)
9月の第44回衆議院議員総選挙後に招集された特別国会後、党役員人事。武部幹事長、久間総務会長は留任。政調会長には中川秀直国会対策委員長を起用。
安倍内閣
(2006年9月)
安倍晋三
(無/森)
−−−− 中川秀直
(森)
丹羽雄哉
(丹羽・古賀)
中川昭一
(伊吹)
2006年9月、小泉純一郎総裁の任期満了に伴う自民党総裁選挙に安倍晋三(森派)、麻生太郎(河野派)、谷垣禎一(谷垣派)が立候補。投票の結果、安倍晋三が当選。
安倍改造内閣
(2007年8月)
安倍晋三
(無/町村)
−−−− 麻生太郎
(麻生)
二階俊博
(二階)
石原伸晃
(無)
2007年7月の参議院議員通常選挙惨敗を受けて、党役員人事と内閣改造を行う。
時期 総裁 選挙対策委員長 幹事長 総務会長 政務調査会長 備考
福田内閣
(2007年9月)
福田康夫
(町村)
古賀誠
(古賀)
伊吹文明
(伊吹)
二階俊博
(二階)
谷垣禎一
(谷垣)
2007年9月、安倍晋三総裁の辞任に伴う自民党総裁選挙に福田康夫(町村派)、麻生太郎(麻生派)が立候補。投票の結果、福田康夫が当選。党役員人事では選挙対策委員長を格上げし、四役体制での党運営に。
福田改造内閣
(2008年8月)
福田康夫
(町村)
古賀誠
(古賀)
麻生太郎
(麻生)
笹川尭
(津島)
保利耕輔
(無)
2008年8月、福田康夫内閣の改造に伴う党役員人事。郵政造反組で無所属当選組の保利耕輔を起用。
麻生内閣
(2008年9月)
麻生太郎
(麻生)
古賀誠
(古賀)
細田博之
(町村)
笹川尭
(津島)
保利耕輔
(無)
2008年9月、福田康夫総裁の辞任に伴う自民党総裁選挙に麻生太郎・与謝野馨・石破茂・石原伸晃・小池百合子が立候補。投票の結果、麻生太郎が当選。党役員人事では空席となった幹事長に細田博之幹事長代理を昇格させた以外は全員留任となった。

T・役職の氏名欄の赤字は新しく就任した人物、青字は同じ役職に復帰した人物、留任の場合は通常色で記載する。    
U・氏名の下の()内は所属派閥を示す。ただし、派閥解消が行われた後も政策集団の実質的な領袖の表示で記載してある。


This episode in "the historical novels of 100years after".
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